ただ今カタマラン造りに挑戦中
ただ今カタマラン造りに挑戦中
自分でデザインをして、
自分で材料を見つけ
自分の敷地で
我々夫婦でカタマランを造っています。
完成は何時になるかは未定ですが、多分2年後ぐらいには完成するのではないか?と簡単に考えております。
カタマランの大きさは47フィート、長さ約14メーター、幅7,5メーター、重さは3,5トンぐらいになると思います。
カタマラン造りに興味がある方はメールくださいね。
よかったら一緒に造りませんか?時間が出来た老後の趣味として、ヨット造りなど面白いと思いますがいかがですか?
ヨットを自分で造るというのは、自分が今まで生きてきて得た知識の総てを利用してヨットを造り、それを完成後海に浮かべる。素晴らしいと思いませんか?
ヨット造りの進行状況は、グーグルのブログ 「リタイヤ後のヨットライフ、 自然と共に生きる」、
google.co.jp の nztsuyoshi.blogspot.com を見てください。
一歩進んだ
一歩進んだカタマラン造船
カタマランの材料となるプラスチィックがシンガポールを明日出航すると連絡が入り、受け入れる我々は気分的になんとなく忙しくなってきた。
シンガポールからニュージーランドまで船が着くまでまだニ週間近くあるのに、明日にでも着くように気持ちが高ぶる。
船がシンガポールを出港するとインボイスとB/L(船荷積書)が送られてきてそれを持ち税関に行き審査と税金を納める。
それが済むとコンテナーが着き次第、港から持ち帰ることが出来るのです。
すでに前もって税関にメールを送り 「こんな品を輸入するが問題はないか?」と問い合わせてあり、税関からの返事は7%の関税と品物の代金+送り賃+税関の手数料の合計に12,5%の消費税が加算されると連絡される。
まったく税金の高い国だと嘆くのだが、少人数で国を賄っている為一人当たりの収入に対する税金が高くなるのだと諦める。それでもどうにか少しは安くなる手はないものかと考えるがニュージーランドでは手に入らないので税金を払うことにする。
材料の輸入と平行して今、愛艇のメンテナンスを行っており、時間が空いた時にはカタマランの造船場所として切り開いている庭?の一部でショベルと一輪車を使って毎日少しずつ切り開いている。
我々の家は景色を重点に置き、丘の中腹に建てたため平らな土地がなく斜面を切り開く以外に平地を得る事は不可能、と思われる土地で、以前より長年この土地でヨットが造れないものか?と考え抜いた末に{不可能だ}と結論を出していたのだが、今回親友の死があり、もう今やるしかないと不可能に挑戦することにしたのです。
少し可能性のある場所を見つけ夫婦で毎日少しずつ土地を削り取り少しずつ平らにしてゆく。
今時ショベルで整地している人もいない時代に、何故か自分の力でこの不可能な斜面を平らにしたくて毎日掘っていったのです。
今一ヶ月が経ちました。あともう一日で整地が終わろうとしています。この不可能に見えた斜面が平らになった時カタマランが造れるだけの地道な作業が出来るような気がしているのです。
よく人に何をしているのだと聞かれる時 「金を探しているんだ」と冗談を言う事にしています。そして 「どうですか?一緒に掘りませんか? もし金が見付かったら貴方にあげますよ」と言うのだが誰も一緒に掘ってあげようと言う人が現れませんでした。
あと一日で整地が終わると言うときに、以前から狙っていた作業小屋となるテントを安売りしている事をテレビで見つけ今日4つも買って来ました。
一個が3メーター x 6メーターなので4つ並べ少しビニールを足して張れば結構大きな小屋ができると思っているのです。
今から造ろうとしているカタマランは幅7メーター、 長さが15メーターなので、もう少し作業スペースをいれて最低8x16メーター必要と思われるのですが。
少しずつ船体を分けて造り、最後にマリーナーへトラックで運び込み組み立てようか?と考えているのです。
資金も少ししかなく作業スペースも少なく、初めて自分で総てを造ろうと言うのですから女房でも半信半疑です。
それでも不可能はないと偉そうに言い張り何とかない知恵を絞り挑戦しているとなんとなく開けてくるもので、材料の見積もりを取った店から思いもよらず予想より安い値段で見積もりが届く。
そして技術的に問題であった細かい点は、イギリス人が書いた本が見付かり、細かい疑問点が少しずつ解けてくる。
少しずつと言うのは言葉の問題と経験の少なさでその本に書いてある細かい技術が読み取れない。
何度も何度も読み返して実際にカタマランを造るシュミレーションをしながら考えてゆくと少しずつその本に書いてあることが読み取れてくるのです。
この本を師匠としてカタマランを完成させてゆく予定です。「できるかな~」? 世の中には不可能はないでしょう!。
そうそう この間自分でも驚く言葉が口から出たのです。「人生には答えはない」「だから間違いも無いんだ」
各自の人生はどんな生き方も正しいと言う事です。「そう思いませんか?」
多分世の中の決まりごとなどは一部の権力者が自分の都合の良い方に人々をコントロールしようとして真しとやかに流しているのでしょう。 では又、
ブリスター
ブリスター
又しばらく書けなかったブログを少し時間が出来たので久し振りに書いて見ました。
カタマランの進行状況はやっと今シンガポールの工場で材料を作ってもらっていると言う状況です。
何故シンガポールか?と言いますと、
ファイバーグラスの芯材となるフォームを世界でも3カ国でしか原材料を作っていないらしく、その材料を生産している会社の紹介でシンガポールの製造工場に作ってもらっていると言うところです。
インターネットがある時代なのでニュージーランドにいながら世界の会ったことも無い人と話し、取引が出来る面白い時代となっています。
我々が今乗っている中古車も日本に頼み、知らないディーラーから買い、ここニュージーランドに送ってもらったのです。
総てインターネットで上手くいくとは思っていませんが、今のところまあまあと言うところです。
ところで最近は今まで長年親しみ生活を共にしてきた我が愛艇を次のカタマランを造る資金にしなくてはいけないので、売りに出したのですが「やっと売れる」と言うところまで来て、船をサーベイ(船の状態を調べる人)に見てもらったところ、
長年海に浮いているままで一年に一週間ぐらいしか陸に揚げなかったので、
目に見えない小さな穴から、少しずつ海水を吸い込んで船底が水ぶくれを起こしていることが発見されたのです。
結果的に売買契約は破棄され又振り出しに戻ったのです。
そこで仕方なくメンテナンスをすることにしたのです。
この水ぶくれは船のハシカのようなもので海水に浮かべていれば仕方の無いファイバーグラスの罹る病気のようなものです。
ファイバーグラスの船が良くないということではなく、木造艇は海水を含み腐ってくるし、鉄やアルミは錆が出て金属疲労を起こし折れてしまう危険がある。どんな船も長所と欠点があるのです。
我々人間も同じ様に良いところも持っているが悪いところも持ち合わせているのです。
直し方は簡単に言いますと、船底に塗ってある船底塗料をはがし、痛んでいる水ぶくれ、船底の皮膚を剥き乾燥させる。
乾燥したらその穴をパテで埋め、新しい皮膚となるエポキシを塗り船底塗料を塗って出来上がり。
簡単に言うとこれだけですが、この船底塗料というのが毒で、海が汚れるのですがこれを塗る事で貝類や藻などが付かなくなる。もしこれを塗らないと一週間でクロカンのスキーのように滑り止めとなってしまう。
出来ることなら塗りたくはないのですが仕方なく塗っています。一見、船を持つ人が海を汚すように見えますが、
養殖の魚を育てている囲いにもこの船底塗料が使われているのです。
養殖場の魚がこの囲いに付く船底塗料を突付いて食べ、成魚となり食卓に運ばれて行くのです。
とにかくこの船底に着いた塗料をグラインダーで磨き取り除く、これが健康に悪いホコリだらけの仕事なんです。
ここをやり遂げると後は簡単ですが、この仕事が一番辛く、顔にスキューバーダイビングのようなマスクをかぶり、フードの付いた服をかぶり、覆面をかぶり、その上から合羽を着てグラインダーで磨くのです。
余りやった事も無い仕事で手がしびれ辛いのですが、何時もお世話になっている愛艇が健康を取り戻してくれる事を願い、ホコリだらけでやっているのです。
専門家?にやってもらえば良いのですが、大変な仕事と言うのは非常に高く目が飛び出る値段を請求されるので、
何事も勉強と言った気持ちで自分たちでやっています。
こんな仕事を毎日やっているのですが、悪い事ばかりではなく仲間のヨット乗りたちが各自のヨットをメンテナンスしているので、ここドライドックは船乗りの社交場にもなっており雑談を交わし楽しいひと時を過しています。
この場所はマリーナーの一角にあり、海に浮かんでいる船を見ながら陸揚げされたヨットのメンテナンスをするのです。
ここで気が付く事は、マリーナーにはランチと呼ばれるクルーザーとマストが付いているヨットが浮かんでいるのですが、
マリーナーを歩く人で船の持ち主は、太っている人はたいがいランチの持ち主である。
そして痩せていて贅肉の無い人はたいがいヨットのオーナーである。
この不思議と思われるような体型の違いが、船を選ぶときの精神状態をあらわしているのか?それともランチに乗る人が楽なので運動不足になっているのか?
一般的にランチに乗る人は「ガハハ・・・・」と言ったタイプの人が多く、ヨットの人は少し神経質そうな人を多く見かける。
すれ違う顔見知りの人には挨拶はするのですが、ヨット派の人とは趣味が合うがランチの人は考えている事が違うのか?挨拶程度になり話すことが余り無いのがマリーナーでの現状です。
今日はこの辺で。
ヨットと人生の設計
ヨットと人生の設計
ヨットの設計と書きますと、さも、大それたことのように思いますが、私が設計しようとしているヨットは、カヌーが二艘並び
棒を平行に二本並べ繋ぎ合わせたようなヨットなのです。
近くに世界でも有名な双胴艇の元レーサーが住んでいます。この人は世界をヨツトレースで周ったり大西洋を50回以上横断したり、イギリス一周レースで双胴艇で優勝したりといった数々の功績を残した人なんです。
この人の設計したヨットを造ろうと計画してその資金造りを兼ね、家を売りに出し、長年親しんだ愛艇を売りに出したのですが一年経った今でもまだ売れず燃えていた夢のヨット造りの日が消えそうに成った時、
親友の悲報が届いたのです。ヨットが完成した暁には一緒にセーリングをしたいと癌と戦っていた親友が亡くなったのです。
親友が亡くなった事は大変悲しいのですが同じ歳の青春時代を共にした仲間が死んだ事は、「明日はわが身」の様な
目に見えない現実を見せられた気がします。
同じ頃、我が愛犬も亡くなりました。女房はこの悲しみに落ち込み最近は少しづつ回復してきましたが予想以上に悲しかったようです。以前より私が死んだら「海に灰を撒いてくれ」と女房に頼んであり、愛犬が死んだのでその灰を海に撒きました。
生まれて初めての経験でしたが、今まで 「灰」と一言で言ってもゴミや落ち葉の燃えたものがイメージとしての「灰」でしたが、愛犬を焼いた灰は予想以上に重たく濃紺の海に撒くと海中に散らばった愛犬の灰が朝日に照らされて、
キラキラと美しく海に沈んで行くのです。
「美しい」印象としてはこう感じました。こんなに美しいものなら自分の灰も「海に撒いてくれ」と頼んだことが正しかったと確信し、自信を持ちました。幾ら容姿が悪く醜い私でも焼かれた灰になり海に撒かれる時にはこんなに美しくなるなんて、こんな良い事はない。
私の親友の灰もこの海に撒くことを彼の奥さんと約束してあり日本から届き次第海に撒き供養してやろうと思っているのです。その時までに新しいヨットが出来るとは思いませんが、少しその灰を残して置き「やっと一緒にセーリングが出来たネ」と改めて海に灰を撒いてやりたいと思うのです。
こんな事があり、私自身も余生が残り少ないと感じ、今長年の夢であるカタマランを造らない限りもうチャンスはないとプレッシャーを持ち、資金が都合できないからとのびのびになっていたが、そんな事言っている場合ではなくとにかく始めることにしたのです。
今の所一番の問題は「造る場所」です。適当な場所ではないのですが家の敷地を平地にして仮小屋?テントサイト風の
作業小屋を造る計画です。
カタマランの設計も先ほど書いたように注文しようとしておりましたが、検討する内に少し重いのではないか?と言う疑問がわいてきたのです。凄い功績を持った人が設計したのですが、この人も歳を取り、新しいマテリアルが一杯ある今の時代に40年前から同じ材料を使っているところに疑問を持ち、資金も少ないことと、以前からデザインに興味がある私の体の中からムラムラと湧き出てくるスケベ心で、自分で設計しようではないか?と考えるようになってきたのです。
基本的に私が設計するカタマランはクルージング艇ですので、極端に速く走ることを考えなくても良く、しかしあくまでカタマランの良さを殺さないようにいかに軽く造るか?と言うことが一番の課題となってくるのです。
無論経済的に負担無くということが条件となってくるのですが、そこで今新素材で安く、カタマラン造りに使えそうな材料を見つけ、現在、アメリカ、シンガポール、日本へと問い合わせているところです。
見本の一部が届いたところですが、今からこれをテストしてみて使えそうであれば、注文を出そうとしています。
この国は税金が高く、労賃が高いので自分で輸入して自分で働く以外に制作費を抑える道は無く、
船の値段が高いのはほとんど手作業で造るため労賃が掛かることである。この点を何とかすれば家を建てるぐらいの経費で夢のカタマランが完成するのではないか?と 又夢を見ているのです。
この先どのぐらい時間がかかるのか?検討もつきませんが、私の楽観的考えでは2年ぐらいで完成すると読んでいます?。
ちなみに知り合いの人が作った54フィートのカタマランは6年掛かったそうです。私は46フィートを目標にしており2年と思っていますが、カタマランが出来ても船が大きすぎてマリーナの確保が出来ず、先にはまだまだ問題は山とあるのですがひとつずつその山を乗り越え夢のカタマランが完成する事を夢見ている今日この頃です。
ハーモニー ウイズ ネイチャー
a href="http://photos1.blogger.com/blogger/3784/1738/1600/Marire%20sake2.jpg">
ハーモニー ウイズ ネーチャー 構想
我々夫婦の歩いてきた人生の足跡・・・・・・
1970年頃,二人はなぜか知り合い世界を見て見たい、と、意気投合して結婚する。金も無かった若い頃に世界を見て回る方法はタダ一つ、背中に荷物を担ぎ、安宿に泊まり、道端の露天で食事をする。こんな旅行をするしかなく今で言うバックパッカーである。今のバックパッカーの方がよほど豊かなのだが、今から考えると波乱万丈の旅だったと思う。若さで出来たな~と思い出す。この世界放浪を4年とちょっと続け日本に帰り着く。一度日本社会を飛び出した我々夫婦は、並みの事では社会復帰が出来るものではなく、放浪生活で覚えた飲食業と我々の形だけの仲人をやっていただいたご夫婦の助けで、飲食店を開業する。お店は初めの一年は苦しく、一般のお客様との考えの違いから経営の方は今いちであったが、以前の世界放浪が役に立ち若いお客の心を掴む。やがてお店は繁盛してゆとりが出来るが仕事に追われ働くだけの毎日となる。以前のように、アノ手コノ手でお客を獲得する面白さが無くなってしまう。一旦繁盛した店はよい評判だけが一人歩きをして、金は儲かるが、今まであったお客との心のつながり見たいなものが薄れてくる。我々の体も労働だけで疲れきりフィーリング的にもうそろそろ止めようかという気持ちになってくる。お店を始める時の計画として漠然と10年稼いでやめる、と考えていた。人生を生きていくための資金が溜まったらその金を道具として自分の希望する人生を歩こう。こんな格好のよいことをノタマイやめる決心であった。その時期が近づき、イザやめて如何するのかと自分に問いかける。バックパッカーで世界を見て歩いた事はあるので又同じことをするのも考え物であり、今度は自分にとって未知の世界でもある大洋をヨットで渡るという行為に挑戦して見ることにする。お店をお客の一人に売り渡し引継ぎ、取り合えずいつかは住みたい国ニュージーランドに来たのです。この国へはバックパッカーの時も来たしお店をやっているときも釣りに来ている。世界中を回った経験からいつか出来れば住みたいと思う憧れの国であった。この国でヨットを買い求め、1年間セーリングの勉強をして慣れ経験を積み、ニュージーランドからタヒチに向かったのです。ヨットのセーリングは観光地で見るイメージとは違い、一旦海に出ると頼るものは自分達しか無く周りは青い空と濃紺の海、今まで自分の人生で知り、経験し、訓練してきた事を利用して考え自然に立ち向かって行くしかなく、結果的に言うと生きる知恵や生きて行く力を学ぶ世界だった。もう一つ教わった事は、人間は自然の一員として自然と共に逆らわず、闘わず協調して生きて行くものだと教わったような気がする。この頃はまだGPSなど無い時代で、天体を仰ぎ、読み取り、26日間かけてタヒチにたどり着く。このセーリングでは天候が荒れたので船を壊さないように大洋の真中でうろうろセーリングをしていた、結果的には今では考えられないほど時間が掛かったセーリングだった。ヨット仲間の一人に言われた、「誰もいない大洋で2週間以上過すと考え方が変ってくる」この言葉を確認したような気がしたセーリングであった。陸地での生活から起こる雑多な感覚が切り離れ「自然と調和して生きる」を、感じ取った気がする。合計7ヶ月の南太平洋を回るセーリングを終え、無事ニュージーランドに戻り着き陸地を見たとき、タヒチの南の島に初ランドホールした時も感激したが、この時ばかりは感激と感傷で見張り番をしながら涙が流れ落ちるのを味わった。一つの目的をやり遂げたのだ、という気持ちだった。このまま世界を回ろうか?と言う気持ちもあったが、自分にとって最大の課題をやり遂げたことでもあり、この憧れのニュージーランドに永住することに挑戦する。一番の問題点はやはりビザだった。幸いにも我々は、日本で飲食店経営の経験があり、ニュージーランドに住むための資金を持ち込んだので時間は掛かったが無事永住権を獲得する事が出来る。 永住権獲得の条件で今のロッジを営業することに成り、牧場の片隅を買い取りロッジを建てる。このロッジは日本人の小さなグループを対象とした宿で、団体旅行はもうこりごりだと言う少し旅慣れた人達を対象として、金儲けを中心として考えずにもし自分が日本で働いていて疲れ、休みを取って旅行に行きたいと思ったとき、こんな宿が有ったらな~と言う発想で作って見たのです。こんな宿ですので利益など上がるわけが無く、昔日本で働き貯めた資金をやりくりして赤字を埋める次第です。我々は、今の生活を以前日本で働いた金で、今の心豊かな生活を買ったと考えています。15年間ここに住み生活して来た感想としてはこの国に住み着いてよかったと思っています。金儲けは日本の方が良いのだけれど、日本の生活では自分の生活が無かったような気がします。このままこの生活を続けたい気持ちもあるのですが、私も今年で58歳になります,ここで又何か新しい事に挑戦したいとムズムズしてきたのです。そして今、その資金作りのためにこのロッジを売りに出しています。www.prosale.bizインターネットがある時代ですので世界中の人々の中から変った(タッタ一人)の次の経営者を見つけ出すゲームをしているのです。これが我々の現在です。 インターネットで宣伝していて色々な人達と知り合い、考えて行くうちに、このロッジを売らなくても良いのではと考え出して来ました。この話は後で述べるとして、
長年我々も自分の老後を如何にして過そうか?と考えて来ました。今本格的にリタイヤを目標として、このロッジを老後資金として売りに出している現在、売ってしまったら如何して暮らすのだという差し迫った状況に今自分が置かれている事にあせりを感じます、その反面マンネリした今の状態から逃れられる喜びもあり複雑な心境です。我々の計画は、このロッジを売り、又ヨットの世界に戻ろうかと計画しています。新しくカタマランというヨットを造りゆったりと天気に合わせ世界を見て回るのも良いな~と考えているのです。今は昔と違い航海計器も発達しており、天候さえ読んで行けば安全な航海が出来、カタマランはモノハルのヨットに比べ揺れが少なく、速く、現地に着くと居住性の良い、浮かぶ家となり、行く先々で新居として楽しむことが出来る。これが良いと考えついたのですが、人間と言うのは欲望の動物で、直ぐにあれもこれも欲しいと考えてしまうのです。そこで、多くの先輩年寄りを見て考えたのですが、一生働いてきて、リタイヤするとその先は健康に生きるために粗食と運動が大事だと言うことが分かって来ました。と言う事は、リタイヤしても旨いものは食べられないし(旨いものは油、脂、を多く使うのでカロリー、コレステロールが高い)、のんびり休もうと思っても体を動かし続けなければ行けない。生活の場でも若い人に政権を奪われ居場所はなくなるし、邪魔物扱いにされ、金でも使わない限り相手にされない。これが老人の本当の姿ではないでしょうか?。ニュージーランドの老人を見て居ても、ぴかぴかの車に買い替え、外国旅行に行くのが一般的です。私もこのようになるのでは?昔は経済的に高い車も買えなかったからと買い、世界で一番と言ってもよいぐらい美しい国から安上がりで汚い国へ旅行に行き、逃げるように帰ってくる、こんな老人の姿はこっけいに思えるのです。歳を取ると新しい服を着ても似合わないし健康のために始めた運動もやりすぎると年老いた体にはきつすぎ結果として体を壊す羽目となってしまう。「まったく如何して生きればよいのだ」と考えてしまいます。 そこでヨットの生活を考えて見ますと、まず、時間が必要となってきます。リタイヤの方にぴったりです。何かとメンテナンスの仕事があり時間が過せる。セーリング中は頭と体力も使う。ある程度ゆとりのある生活に見える事、セーリングをして世界中を見て回れる、着いた国で浮かぶ家と早代わりする。値段的に計算すると飛行機が一番安いように思われるが、車代や宿代を加えると初めの資金は必要でも将来そのヨットを売却すれば安上がりになると思われる。荷物を持ち歩かなくてもよく、旅をしながらそこに自分の住みかが有って安らげる、疲れた時には観光や運動を休みノンビリと過せる場所がある。我々も若い頃には汚く不衛生な国でも平気で暮らせたが、今ではそんな体の抵抗力がなく、せめて小奇麗なところで寝泊りや健康のため質素な食事を自分で作って食べたいと思うのです。昔は、食べるために働き物を買い求め、豊かになったと感じたものですが、これからは、必要なものだけを買い求め、如何に粗食で生きるかということが要求される時代になってきたと思います。もう一つは、生きて行くために必要な綺麗な水、空気、空間、ストレスの無い静かな環境、安全、このようなことが我々老後に一番必要な豊かさとして要求されるものではないでしょうか。今、陸上では色々な危険が起きています。まだ海の世界はニュースに成るぐらいの数しか問題は起こっていないと言う点、「ノアの箱舟」のように最後に生き残ったのも海に逃げた人達です。この間の津波の時も沖に浮かぶ船は安全でした。何時も問題が起こるのは陸上なのです。
我々の今考えているヨットは、カタマランと呼ぶ双胴艇です。ヨットは大きく2つに分かれて単体艇と双胴艇があります。簡単に言いますと二艘を繋げた船と一艘だけの船なのです。もう一つ大きな違いは、キールと呼ばれる錘が船底についていないのがカタマランです。キールが付いていないので船体が軽く、水中抵抗が少なく速く走ることが出来ます。二つの船体の間をサルーンでつなぎ大きなゆったりしたスペースがあるのが特徴です。二つの船体が足を広げたように踏ん張り揺れを防ぎ乗り心地をよくしています。これがカタマランの特徴です、欠点は二艘分の船を繋いだ形ですので、値段が高く成る事です。しかし長期のセーリングと浮かぶ家と考えるとこのゆったりしたスペースは最高のものとなるでしょう。ヨットで世界を回ることを仮定しますと、実際の海を渡る日にちと言うのは意外と短いものです。目的国に着き泊まって過す時間がほとんどと言ってもよいのです。移動可能な浮かぶ家と考えた方がよいと思います。今も昔も、多くのヨットが単体艇を占めますが、情報がなかった頃の恐れから頑丈な単体艇が多く造られてきたのだと思います。ほかにも理由は有りますが値段も大きく関係します。もしこのカタマランを造る費用が出せるなら、居心地のよい安全なクルージングに適したヨットを造ることが出来るのです。この船には6人から8人寝泊り出来ます。浮かぶホテルといってもよいでしょう。もしこのロッジが売れたらこの船を造る予定で居ます。
しかしまだ陸の生活も捨て切れません。春には一面花が咲き乱れ果物の木にはレモンがたわわに実りアボガドも食べきれないほど取れます。畑には春の菜っ葉が育ち、蕗の若い茎を取り食べます。何と豊かな生活でしょうか?ワラビもたくさん採れます。野生のイチゴは一杯あります。鶏や羊も以前は飼っていましたが、我々二人では面倒を見るのも食べるのも多くて困るので止めています。私の趣味は釣りですが「狂の字」が付きますので食べる魚は海や川から獲ります。散歩の途中ではきのこや山菜も採ることが出来るので畑では余り多くは作っていません。米や小麦粉など穀物はスーパーで買い求め、健康のための運動として余暇をテニスで過しています。最近は飼い犬のセーラーも歳を取り激しい運動が出来ないので約2エーカーある敷地内に散歩道を造り犬の散歩をします、散歩道と言っても一見山道のようで犬もかくれんぼを楽しみながら運動をしているのです。天気の良い日には海に釣りに行き鯛など採って新鮮な魚を楽しんでいます。新鮮な海や川魚を多く獲ってくるので内の猫イチゴは魚の味にうるさく、まずい魚を釣ってきて食べさすと餌の前にチョコンと座りウンともスンともいわず飼い主の顔を見てこの魚を猫の私に食べろと言うの、そんな顔をして食べようともしないのです。そんな日頃のイチゴも今年の冬には恒例の鱒釣りに出かけなかったので、魚に餓えており、缶詰のキャットフードに人間用イワシのカンズメを少し混ぜ与えるとガツガツ食べます。イチゴの好物です。
こんな生活も続けたいし、新しい生活もやって見たいと欲深いのですが、可能なら総てを取りたいし世界中の国を訪れても見たい。ニュージーランド中を釣り竿を担ぎ旅をしたい。ご存知のようにニュージーランドは釣り天国なのです。世界中の釣りキチが一度は釣りに来たいという国です。安全で手軽に釣り場に行け魚が釣れます。日本でも我々はよく釣りに出掛けました、山の中まで歩き釣りをしても魚がいません、魚より釣り人が多く総て釣られてしまったかのようです。お店をやっているときにはアラスカまで釣りに行きました。さすがにアラスカです魚が一杯いました。でも釣り場に行くには飛行機で行き、軽飛行機に乗り換え、ガイドの船で釣り場にたどり着き、ガイドがライフルを持ち熊を見張りながら釣りをするのです。これでは気軽に釣りをするなど出来ませんし大金もかかります。ニュージーランドでは車で簡単に行けますし、魚も多くいます。釣りの腕は必要ですが初心者でも釣れます。
ニュージーランド国内の釣りはこの車でキャラバンを引いて行きます。キャンプ場を釣りの基地として使いキヤラバンで寝泊りするのです。渓流にはこのキャラバンを基地としてリュックを担ぎ山に入りテントで何拍かして釣りをします。ニュージーランドの渓流はまだまだ釣り人が少なく日本では想像もつかない大物の鱒が釣れるので釣りキチにはたまらない魅力でしょう。もう一つニュージーランドの良いところは危険な動物や蛇などいないことです。したがって平気で薮の中に入って行くことができるのです。キャンプも何処でテントを張っても大丈夫、山小屋も安く泊まれすいています。
こんな生活もやって見たいと思いませんか、我々もなくしたく無いと思うのです。 町に行くと我々は朝の犬の散歩に芝生の競技場を歩いたり走ったりします。その後犬を車に寝かし、テニス場でリタイヤした老人たちとテニスを昼頃までします。みんな健康の為にやっているのですが、こちらの人は子供の頃からやっているのでうまいが、大きくて力があるのでとてもかないません。スーパーなどでテニス仲間と出会うとこんなにこの人は年寄りだったのかと驚くような老人だったりします。テニスコート場では若若しく見えるのに場所が変れば見方も変るものだと驚きです。無論テニス、ゴルフ、水泳などはタダみたいな値段で参加できるし、もう一つ老後に大事な、公共の病院は待ち時間は長いが無料なのです一般に、ホームドクターを持ち日ごろの健康管理を相談します。血液検査などして、もし悪いところが発見された時には、ホームドクターが病院に連絡して治療や入院となりますが費用はすべてタダ、ホームドクターは一回のコンサルタント代としてNZ$50+薬代、また最近では保険を掛け、民間の病院を利用する人も増えていますが、日本に比べると費用は高くないと思います。ついでに書きますとヨットでセーリングをしますとヨット乗りにはドクターが多いので助かります。
** 老後生活を考える **
我々自身の老後を考えて見ます。まず最初に問題となるのが健康です。58年間も生きてきましたのでこの体も使い古している事でしょう、どこかガタが来ていると思うのです。古い車を例にとって見ますと消耗品としてのパーツは定期的に取り替えていかなければいけません。外見は古いままですがメンテナンスだけしていれば、何年でも新車のように使えるものです。人間の体も車と同じだと思います。タダ違うところはパーツを総て取り替える訳には行きません。車のエンジンを形成する一部としてのフィ-ルターなど腎臓と同じ役割です。肺は吸気系のフィールターですね、血液は多分エンジンオイルでしょう、燃料となる食事はガソリンです、心臓は内燃機関、筋肉は駆動系統、頭はコンピューターでしよう、血管はブレーキパイプや燃料パイプです、タイヤは足でしょう。このように考えて見ますと、年老いた人間は中古車です。中にはクラシックカーとして価値のある車も有りますが、たいがいはまだ乗れるがもうそろそろ新車にしようかな~と言ったぐらいの中古車だと思うのです。中古車を乗り続けるためにはまず車を適度に動かし続け、止めないことが大事となってきます。日本では車を何十年も乗る人はいないと思いますが、ニュージーランドでは20年もんぐらいは一般的にまだ現役として走っています。
我々も中古車なのです。コンディションを良く保つには適度に体を動かす事で体内の潤滑油の膜を切らさない事です。何時も動かし続け錆ないようにする事です。
燃料は適切な燃料を正しく使うことです。我々日本人は西洋人と比べ粗食に合う体をしています。染色体が長い歴史を経て日本人が食べてきた食事を覚え込みその食事を効率よく体に吸収すべき方法をコンピューターのメモリーと同じく記憶しているのだと思います。日本人(他のアジア人も同じ)はここ数十年急激に豊かになり、西洋人の食べ物を取り入れ食べてきました。これが原因で今流行の生活習慣病となっているのです。車で言うとスーパーチャージャーのように、大量の燃料を体に送り込み排気ガスとして尻から出しているようなものだと思う。そして体が消化し切れずに溜まりパイプを詰まらせ総ての機構に混乱を起こしているのです。
ここで考えなければいけない事として、我々中古車は、フィールターに目詰まりを起こしていることです。車の場合は簡単に取り替えることが出来るが、人間の体の場合は供給不足も手伝い簡単には取り変えられない(私自身もこの問題と取り組んでいますが)出来る事は食事療法でフィールターをかばいつつ長く使用して行くことだけなのでしょう。と言う事は、粗食に耐え、酒、タバコを止め適度な運動をして自分の体を管理することが必要となって来ます。
もう一つ大事な事は命令形となるコンピューターですが、やはり適度に使うことが大事だと思うのです。人間のコンピューターとしての脳ですが、適度に刺激を与え少しのストレスや考える仕事をさせなければいけない。と言う事は、リタイヤしたからと言ってコンピューターを休ませてはいけないと言う事でしょう。リタイヤ後いくら豊かになったとしても、粗食に耐え、運動を欠かさず筋力を落とさないようにして、脳に酸素を送り、そして少しの危険なストレスも加えることが大事となってくるのです。
もう一つ年老いた体に良い食べ物を考える時,私は現代の自然採集の生活に憧れるのです。我々も畑で作物を少し作っていますが、美味しそうな食べ頃になるとみんな虫や鳥に食われてしまうのが現実です。無農薬野菜など嘘の世界ではないかと疑っていますし、ましてその野菜を売るなんて出来る訳はないと思うのです。ファッションとして豊かさをひけらかすために無農薬野菜を買っているように個人的な意見ですが思うのです。おまけに減農薬野菜など売るための言葉の遊びとしか思えない。余程の大きな土地で野菜を作り、食べられそうな野菜だけ採って売らない限り不可能ではないかと考えています。(確かに手の掛からない野菜も有りますが、販売すると考えた時バラエティーガ必要となってくる)。そこで我々はニュージーランドの広い土地を利用して、手の掛からない野菜を作り、自然の中から食べられそうな若芽や山菜、キノコなどを採集し、海や川からは楽しみとして魚を釣り食料とする。基本的に肉は食べないようにして、最低限の物を買い求め質素に心豊かに老後を暮らして行きたいと考えているのです。
これらの考えをベースとして私の老後を考えて見ますと海の生活が良いと思うのです。大きな話ですが、海の水が太陽熱で蒸発して雨となり陸に落ちる。その雨は陸を潤し、陸上の汚れを洗い流して川となり海へ帰る。海はそれを浄化する。このような対流が自然界には起きていてこのバランスが崩れた時、災害となって陸上に被害を与える。海の生活は、まず「揺れ」と言う適度な運動が自然に嫌でも付きまとう。船と言う限られたスペースですから食料を持ち込むのに限界があるし、多少の冒険的刺激を脳に与え、海からは自然の浄化の産物としての魚、海草、雨と成った蒸留水が得られる。多分人間の体も海水に浸かることにより浄化してくれると思う。リタイヤ後の生活にぴったりだと思うのです。船で旅行は出来るし、多くの面白そうな考え方をした人達にめぐり合える。停泊中は家と早代わりしてそこをベースに運動をしたり、観光を楽しんだり、山歩きをしたり、地元のクラブに参加して多くの人達と友達になれる。 しかし、四六時中船の生活ではマンネリ化や疲れが出てくると思うのです。少しは陸の生活もしたい。そこで我々の持っているロッジを陸の拠点とし、そこをベースにセーリング、時にはそのベースから車で陸地を旅行する、時にはロッジの畑で土いじりや果物をもいで食べる生活、時にはペットなど動物と過す時間も持っていたい。
このように欲望は限りなく増えてしまうのですが、これを自分たち夫婦でこなすには不可能に近い、家の面倒も見なければいけないし、動物の面倒、畑の草取りもしなければいけない、船のメンテナンスも必要だ、金銭的にも問題がある。これを可能にするには、目的を同じくする仲間と縛りあわずに、生活、労働、喜び、資金を分かち合う事が必要となってくる。皆で、今まで生きて来た人生の経験と技術、資金を持ち寄り、質素で心豊かな老後を過しませんか?。
我々は趣味と運動を兼ねテニスなどしているのですが、ニュージーランドの老人の中に混じって運動しながら老人たちの生活を見せてもらい感じる事は、宣伝の効果か?アディダスやナイキなどと大きく書いた服を着てかっこよくテニスをやっているが、人から見ると、動く姿も容姿も老人であり若い人みたいに躍動美などない間違いなく老人である。一見金回りが良いように見せても長年の貧乏性は抜け切らず、顔や動作の節々に現れ溜め込んだ金は無くすのが惜しくて使えず、安上がりなテニスなどをやり時間をつぶし、一年に一回外国旅行などへ出かける。これが一般的な老人の姿と思う。多分我々も将来このような老人になることを考えるとどうせ一度は死ななければいけないのに、後少しの人生を何か出来ないのか?と焦りを覚えるのです。思いっきり自分の好きな事をして死んでゆこうと考えた時頭に浮かぶのは、アノ雑用をしなければ行けないとかこの仕事も残っていたと言った日常の事が希望や大志を足元から桁繰り床に転がしてしまう。何とか素晴らしい老後が過ごせないものかと考える毎日です
Catamaran カタマラン
Catamaranカタマラン
カタマランというのは双胴艇の事です。船は単体艇と双胴艇に分かれています。カタマランは昔ポリネシア人が大洋を渡り
新開地を求めた船で、ポリネシアンカヌーを大きくし二艘を繋ぎ合わせ航海したのが始まりと思われ、この居住性に優れキー
ルと呼ばれる竜骨の無い事により軽くて速い特徴を持ったカタマランに現代人が目を付け今風のカタマランになったのです。
ここで言うカタマランは昔の帆船時代の船からイメージするヨットばかりではなく盛んにモーターヨットや客船として造られている。カタマランは双胴のため単体艇より揺れが少ない。単体艇は船の安定性を求めるため重心位置を下げる、その重心位置を基
点に船が揺れるため揺れが大きい、カタマランは二つの船体が足を開けたように踏ん張るため揺れが少ない、そして船体と船
体の間に大きなスペースを造れる事が単体艇より有利だと思う。
それではカタマランは不利な点は無いのか?といいますとよく言われることの一つに大波で横転すると起き上がれないことで
す。ヨットの場合単体艇は横転してもキールに錘を入れ重心があるので一回転して起き上がれます、ヨットの構造上起き上が
れないのも有りますが多くは起き上がることが出来ます。
これを安全と勘違いしている事が多いのですが、嵐でヨットが一回転するほどの状態のとき底に乗っている人間は何らかの怪
我なり海に放り出されたり、ヨットもマストが折れたりするのが普通でたぶん船は航行不可能になるでしょう。もう一つ船体に錘
の入っている単体艇のヨットはある一定の海水が船内に入ってしまうと沈んでしまいます。この時乗組員はライフラフトと言う救
命いかだに乗り移り海上を漂う事になります。運良く助けられれば良いのですが自分たちでサバイブしなければならない。救
命用イカダには最低限の水や食料、救命用信号などが積み込まれていますが間違って海に落とすかも知れないし救命信号
が届かないかも知れない。よくある映画のシーンのような状態です。
ではカタマランはどうか?カタマランは横転すれば起き上がれません。カタマランの船底には非常用出口が付けられておりそこ
から出入りが出来ます。カタマランにはキールの付く錘がありませんので海水が入ってきても不沈なので裏返った状態で助け
を待ちます。これが大きな救命用イカダに早代わりして積み込んである救命信号機で助けを求めます。多分水も飲め、食料も
何とか食べられるでしょう。
こうして単体艇と双胴艇を比べて見ると最悪な場合どちらも安全とは言えず甲乙付けがたい、あえて言うならばどちらも被害を
被り船は壊れるのだから、運悪く沈んでしまうより横転したまま助けが来るまで浮いていられるカタマランが有利では?と私は
考える。しかし万が一の転覆は別にして、これには条件がある。外洋の大きな波長に耐えられるサイズのカタマランであること
小さいと簡単に横転するためキールのある単体艇の方が有利である。
ヨットでの外洋セーリングを考える時横転すると言う極限を考えるが昔のように情報がなかった時代では大洋の真中で嵐に会
い、横転して行方不明になりサバイブすることなど今では稀であり装備さえ備えていれば何時でも連絡は取れ天気予報も得れ
る時代である。ヨットのセーリングで安全に航海する秘訣は天気を読むことであると言い切ってもよいと思います。
危険度は一番危険なのは陸上の車でしよう、ヨットは山登りより安全です。飛行機は墜落しますがヨットは簡単には沈みません。
例えば、ここニュージーランドから南太平洋の近くの島までセーリングしようとする、距離は1200マイル位とします。クルージン
グ用単体艇では10日~2週間ぐらい掛かるけれど、カタマランでは6日で到着するでしょう。
その時、オーストラリアに低気圧があり一般的に3日~4日でニュージーランドに移動してきます。ニュージーランドからセーリン
グをして2~3日目までが海が荒れることの多い海上ですその地域を過ぎると台風や熱帯低気圧が発生しない限り
穏やかな海域なのです。そこでニュージーランド上を低気圧が通り過ぎた直後から風は南風に変るのでその風に乗ってヨット
は南太平洋に向かうのです。ここで問題になるのは低気圧が通り過ぎ高気圧に覆われると風が弱まりヨットが走らなくなってし
まう。クルージング用ヨットは長期のセーリングのため生活物資を積み込んでいますので重たくなっており船足が遅い、
安定した海上に行くまで予想以上の時間が掛かり次の低気圧に引っかかってしまう事がある。
これを嵐に会うといわれる。船足の速いカタマランはこの時点で安全海域に到着しており目的位置に安全に着く事が出来る。
天気は地球の自転に伴い西から東へ多くは移動するので天候を読めば2~3日前には何処の海上が荒れると判断できるた
め、それを避けるように航海すれば安全に目的地に行くことが出来る。今では宇宙からの写真で天気が何時でも見られ
GPSで自船の位置が10メートルと狂わずわかる時代なので装備さえ揃えそれを読み取れば台風以外は安全に航海できる時
代である。台風の場合は突然発生する可能性があり読めない事もあるそのため台風シーズンはその海峡を航海しないのが一
般的と成っている。天気が読め嵐に会わない事が出来れば横転する心配もなく、船足の速いカタマランは悪天候からも逃げら
れ揺れも少なく安全に航海する事が出来る。 もう一つ有利な事は世界中セーリングをするといっても場所から場所へ移動
するのに長くて1週間から2週間ぐらいセーリングをして1ヶ月や2ヶ月停泊しているのが一般的なクルージングでありその停泊
中時、カタマランの居住性の良さは単体艇には出せない浮かぶ家と早代わりする。大きさのわりにキールに錘がなく船重も軽
くエンジンも両サイドにあり船の回転性能がよく取り回しが楽である。今は昔と違い計器類やサテライトを簡単に利用できるた
め到着時間なども1分以内の正確さで計算でき港に入る前にインターネットでレストランを調べ到着時間に食事がヨットに運ば
れてくる事も夢の時代ではなく、昔のヨット乗りのイメージは日に焼け真っ黒い顔をした髭もじゃのイメージでしたが今のヨット
乗りは青白く船内で計器を見ながら航海をしており帆を調整する時は天候の荒れているときが多いので太陽が出ていない時
が多く海の男のイメージは青白いものである。
一見、総て良い様に思うカタマランにも値段が高くなるという問題がある。二つ船体があるため多くのものが二重に必要と
なってくる、それとマリナー停泊には大きなスペースが必要となるため場所が得にくいことと高くなる。船は本来生活では必要
なものではなく贅沢品であり金が掛かるのは当たり前の事であり、止めとけば安上がりなのだがカタマランを持って見たいと思うのである。
そこで今我々夫婦は家を売りに出しカタマランを買うべき挑戦中なのです。www~~~~
出来合いのカタマランを買うとかなり高額なので我々夫婦では重荷となってしまう。そこで自分たちで造ろうと考えているところです。例えば、我々が今予定しているカタマランはNZ$1億ぐらい買値がします。これを自分で造ると半額ぐらいにまで落とせると計
算しています。総て自分で造るわけには行かないので難しいところはオーダーして出来る限り自分たちで造る。
ヨット建造費は総てと言っても良いぐらい労賃が掛かる手造り物です。この労賃を如何に下げるかがコツとなって来るでしょう。
そこでもし、一緒に造って見たい、出来たらカタマランで世界中セーリングして見たい、カタマランを造り完成後売ろう、とか思う
人が集まれば、ぜひ一緒にカタマランを建造したいと思うのですがいかがでしょう。
このヨット造りは、リタイヤ後、時間と多少の金に余裕があり、何かをやりたいと思った時に、大きなプラモデル造りのように考
えて造る喜びを味わうためにも有意義な時間を過し楽しめると思うのです。
例えば何人かで資金を出し合いカタマランを造るとします、完成後無論試乗はしますが売ることになれば1億で売ると仮定す
れば半額儲かり皆で分ければ良いと思うのです。カタマランでセーリングを皆でしようと思えばすれば良いし、個々の夫婦で
セーリングがしたいと思えばメンバーから借りると言う形を取り使用料を払い自分で持つより安くセーリングが出来るし行く先々
では浮かぶホテルとして仲間が飛行機で飛んできてそこを基地として観光などをしたり、移動の時だけメンバーと一緒にセー
リングをして到着地から飛行機で帰ることも可能である。
これからは我々団塊の世代がリタイヤし世界中で世界クルージングの旅をする人達が増えると思う。その人達を対象にカタマ
ランを売ればきっと売れるに違いないと思うのですがいかがでしょうか?。
どうしても単体艇(モノハル)が好きで昔ながらのセーリンがしたいと思われる方は、我々が所有している
ヘレッショフ36(38フィート)スループ(一本マスト)を売りに出していますのでかっていただけませんか?
必要と有ればセーリングを教えますしナビゲーションやメンテナンスその他クルージングに必要な事柄をコーチいたします。
ボーディングハウス
今我々は、ニュージーランドのタウランガというところで日本人ツーリストを対象としてロッジを経営しているのですが、
そろそろリタイヤしようと計画しています。このロッジを売り金が入ったとしても日ごろの貧乏性では上手く金を使えず貯金か何かの形で残すのが関の山ではないか?と考えてしまう。
そこでこのロッジを安い値段で、同じような考えを持つ同じ世代のリタイヤした人に開放できないか?と考えて見ました。
このロッジを始めた頃から我々は経営者には見えず、人が訪ねて見えるとよく「経営者の方は今何処にいらっしゃいますか?」と聞かれ、私が「経営者です」と答えると聞いた人は気まずそうな態度を示したものです。
どうせ我々は経営者には見えないのだから、このまま使用人として生きるべきではないか?と考える日々です。
そこでもう一つの遣り甲斐として、資金を出し合いヨット造りをやってみたい。「このニュージーランドでリタイヤ後のひと時を過したい」といった人達が集まれば、安くこのロッジを解放して泊まり、一緒にヨットを造れるのではと思う。
私はこの国に住み着いてもう15年以上経って思いますが、日本人と違い西洋人系の人は独立心が強いと言うか?自分勝手というか?家族ぐらいしか仲良くしている人を見かけない。皆で集まって楽しく過すのはクラブみたいな趣味の会ぐらいに思う。
又これがお互いに好きな道であり趣味のため時間を割いたり出費したりと一番精力を使うように感じる。
我々もクラブに参加するときや好きな海に出る時、釣りして居る時が今の人生において一番楽しい時間でありやって見たいことでもあり人々と交じり合う時間でもある。
そこで日本人同士が集まって老後のひと時を共有しようと考えた時、やはり趣味などの共通性が有る方が上手く行くのではないか?一般の日本人は仕事が趣味という人が多いのだが、これでは素晴らしい老後を過すことが出来ないと思う。もちろん仕事をして働いていればわずかな金も入ってくるだろうし仕事に追われて時間もつぶせる。現役を離れ低賃金で老後を過すのも一案では有るが、せっかくある程度の資金と時間、まだ何かをやれる健康があるのだからその大事な自分の時間を安売りして過すより、今まで少しは持った事のある夢とロマンのためにおのれの人生を使って見てはいかがでしょうか?
そこで未知の世界かも知れないがヨットなど造りニュージーランドで生活をしませんか?と誘いたい。
ここで問題となるのは、この国に住むためのビザの事です。現実的には永住権は45歳以上は難しいと言えるでしょう。
多分、45歳以上では特殊な技術を持ち英語が出来る人でなければならない。
無条件でこの国に永住するにはNZ$2億ぐらい必要となり、こんなにお金をかけて住む必要があるのか?と考える。
もう一つは本国で5年以上ビジネスの経験がありNZ$2億ぐらい金を持込みビジネスをする人、これも難しい。
一番簡単なのは、3ヶ月に一回出国する事である。一番近い国オーストラリア成らば今NZ$100ぐらいで行くことが出来るし、たまに日本へ里帰りもすれば生活に変化がある、これが一番安く付く方法ではないか?と考える。
今はまだ決まってはいないがいずれリタイヤビザと言うのが出来、リタイヤする人に長期のビザを与える許可が下りると思います。条件はまだハッキリとは決まっていないようだが、世界中団塊の世代がリタイヤするため大きな金額が世界中動くのでそれを狙ってビザの取り決めも変ってくると思います。今のところ医療問題を如何するか?で考えがまとまらない様子であり年寄りに医療費がかさむことが未解決の問題として残されているのです。
この国は基本的に住民の医療費は無料となっており、国も医療費がかさむことと医者の国外流失に悩んでいるのが現状です。
もう一つこの国の特筆すべき良い事は、老人が生き生きとして生きていることでしょう。老人だけでなく身体障害者なども当たり前の事ですが一個の人間として生き生きと生きることの出来る国である。どこかの国のように生産性が無いと阻害する国ではないと感じる、私のようなちょっと頭の悪い人間でも幸せに生きて行ける国である。
ビザの話しに戻りますが、日本とニュージーランド、他の国を混ぜ動く事によりビザの問題は解決できるように思うのです。
一般に退職された方を見ていますとまず旅行をなさいます。3ヵ国も毎年旅行すると何処の国もどんな旅も感激度が薄れマンネリ化してくるのが一般的です。最後にはやっぱり自分の家の方が気楽で金も掛からないと元の生活に戻って行くのが普通です。でも周りの人が旅行すれば何と無くプレッシャーが有るし、旅行も行かないで家でやることもなく毎日ゴロゴロしているだけでは家族にも嫌がられてしまいます。そこで何かやることと旅行、自分の国や家、などを共通できる案は無いものか?と考えて見ますとニュージーランドに短期間住み日本へ行き来しながらヨットなるものを造る。「未知の世界である海の世界を想像しながらヨット造りをすることで遣り甲斐と、刺激、新しい物に挑戦する喜び、自分の自由な時間を自分のために使える満足感、外国生活、日本への里帰り、などが両立できる生活をして見ませんか?」 ヨットが完成したらこの船で世界中をセーリングして回り、行く先々でヨットを我が家として生活、観光、ささやかな冒険などをして過ごし、ヨットを置いて里帰りに日本へ帰ることも出来る。
勿論我々も同じく我が家に帰ることが出来るし又次の国に行くときは飛行機を使いヨットに戻る。こんな生活をするには仲間が必要となってきます。お互いに力仕事を分かち合い資金を出し合い一つの夢とロマンに向かってゆく、こうした仲間、お互いに若いときのように何でも出来る体力、健康、勇気、がなくなりつつある今、長年培った知恵と資金を出し合い一つの目的へと老後の人生をエンジョイしたいと思いませんか?
資金の話しですが、ヨットという乗り物は手造りのため、一般的に言って売値の3分の一が材料費、3分の一が労賃、3分の一が売る側の儲けとなっています。
そこで、我々で出来る限り労働をして労賃を浮かし手に負えないところはプロにやってもらう事として、この時点で自分たちが経営者となり老後の仕事を確保する。こうしてヨットを造ると売値側の利益と労賃が浮く事になり、大目に見ても半分の金額でヨットが完成する事になる。将来的にもこのヨットを売るとき元金は取り戻す事が出来、上手くすれば利益が出る可能性もある。
先ほども言いましたが我々団塊の世代が世界中に溢れ昔より健康に長生きするようになるとヨットで世界を気ままにセーリングをしたいと考える人達も多くなることでしょう。実際に今セーリングをしている人達の多くはアメリカ人です。次に目に付くのがヨーロッパ人、オーストラリア人、ニュージーランド人、政情の不安からサウスアフリカ人、次に日本人といったところです。一般的にアメリカ人の船はサイズが大きくオーストラリア、ニュージーランドと続きます。
これは財政とヨットを置くためのスペースの問題が絡んでいるように思います。もう一つ特筆すべき事はニュージーランドで多くのアメリカ人のヨットが造られていることです。ニュージーランドはご存知の様にヨット大国で技術も進んでいます。この国で世界中セーリングして回るヨットを造る事は将来的に見てもヨットの信頼性がありいいヨットが造れることになります。
よく「アメリカ人を見ていると将来日本人も同じようになって来る」と言われます。今どこへ旅行してもどこも特徴の無い変化の無い旅行ばかり溢れ面白みに欠ける。このヨットの旅は適当に刺激があり今は航海機器が良くなっており装備と使い方さえ正しければ安全に航海でき陸上を旅するより安全です。よくヨットや船の事故がニュースで流されていますが、ニュースというのは珍しいからニュースになるのであり、車の事故のように日常茶飯事ではたいしたニュースにはならないという事です。
もう一つ言わなければいけない事は、ヨットで世界をセーリングすると言ってももう冒険的な事はないということです。
どこに行っても世界中のヨットが居ます。言い方を替えれば処女峰はなくなりバリエーションルートが残されているだけで決して目新しい世界ではない、と言ったチョッとガッカリするような冒険的な要素の無い世界となっているのが現実なのです。
そこで老後を安全に、気楽に、世界を回ることが出来るヨットという考えから私はカタマランを造りたいと考えているのです。
外洋セーリングを目的としたカタマランは外洋の波長に対して安全な様に最低40フィート以上のヨットが必要になってきます。それに加えて仲間で行くには水や燃料、食料、身の回り品、プライバシーなどなどの関係から、50フィートぐらいを目標としています。このぐらいのヨットであれば何人かの人員と装備などを持ち安全に居心地良く生活しながらヨットの旅が出来ると思います。何人ぐらい?といえば8人ぐらいが居心地良く過せるスペースだと考えています。セーリング中というのは必ず交代で見張り操船しますのでスペースを有効に使うことが出来必要な時は皆で力をあわせ操船します。普段は見張っている事が一番重要な仕事でしょう。
目的地に着くとヨットを家にして生活をするのですが、このときにもカタマランの居住性の良さが生きてきます。世界をクルージングすると言っても多くの時間は行く先々で停泊している事が多く、カタマランの浮かぶ家のありがたさを感じるときでしょう。
もし予算が多くありヨットを買えたとしたら、ヨットを買ってクルージングに行くか?と考えますと答えはNOでしょう。
ここニュージーランドには世界から多くのヨット乗りがやってきます。我々も以前は南太平洋を夫婦でセーリングした経験もあり、多くのニュージーランド人セーラーも顔見知りです。この経験から言って世界をクルージングするといっても3年もあれば終わってしまいます。そこで何年かヨットの建造に時間を掛け夢を楽しみ、ニュージーランド生活を楽しみながら過す、これならモもっと老後の楽しい刺激のある夢とロマンに満ちた時間を楽しみながら過せると思うのです。
もう一つヨットを建造する良さは、一旦海に出ると自分たちの力だけで総てを基本的には解決しなければいけないというのが基本となっています。この時、自分たちの手でヨットを造った経験があれば問題が起きたときに焦らず、慌てず、対処できるのです。海での遭難や事故の多くは不安からパニックになることが原因で起こることが多く、ヨット造りをしてヨットに慣れ親しんでいると問題が起こっても直ぐにどうすれば良いかという事がわかり落ち着いて対処できる、これがみんなの安全に繋がるのです。この事は多分セーリングする上で一番大事なことだと思います。
仲間を作る上で上手くやってゆけるか?という問題が有りますが、私にとっても一番難しい問題なのです。ヨットを造るということで仕事と目的を同じにして繋がりを持つ、これから先のクルージングに対して未知の不安から助け合わなければいけないと言ったお互いの強い繋がりが育って行くように思う。このヨットを造る段階において協力するという事をお互いに身に付けて行く、決してルールで縛りあうのでは無く一つの目的に対して協力するという仲間作りが出来るように思う。
ヨットという狭い空間に何人もの人間が生活するという事は問題も起こりやすく、問題が起こる前に話し合い一緒に生活する訓練を持つためにもヨット造りは役に立つのではないか?と考えます。このヨットを造る時間の方がきっと一生の思い出となることでしょう。