ヨットと人生の設計
ヨットと人生の設計
ヨットの設計と書きますと、さも、大それたことのように思いますが、私が設計しようとしているヨットは、カヌーが二艘並び
棒を平行に二本並べ繋ぎ合わせたようなヨットなのです。
近くに世界でも有名な双胴艇の元レーサーが住んでいます。この人は世界をヨツトレースで周ったり大西洋を50回以上横断したり、イギリス一周レースで双胴艇で優勝したりといった数々の功績を残した人なんです。
この人の設計したヨットを造ろうと計画してその資金造りを兼ね、家を売りに出し、長年親しんだ愛艇を売りに出したのですが一年経った今でもまだ売れず燃えていた夢のヨット造りの日が消えそうに成った時、
親友の悲報が届いたのです。ヨットが完成した暁には一緒にセーリングをしたいと癌と戦っていた親友が亡くなったのです。
親友が亡くなった事は大変悲しいのですが同じ歳の青春時代を共にした仲間が死んだ事は、「明日はわが身」の様な
目に見えない現実を見せられた気がします。
同じ頃、我が愛犬も亡くなりました。女房はこの悲しみに落ち込み最近は少しづつ回復してきましたが予想以上に悲しかったようです。以前より私が死んだら「海に灰を撒いてくれ」と女房に頼んであり、愛犬が死んだのでその灰を海に撒きました。
生まれて初めての経験でしたが、今まで 「灰」と一言で言ってもゴミや落ち葉の燃えたものがイメージとしての「灰」でしたが、愛犬を焼いた灰は予想以上に重たく濃紺の海に撒くと海中に散らばった愛犬の灰が朝日に照らされて、
キラキラと美しく海に沈んで行くのです。
「美しい」印象としてはこう感じました。こんなに美しいものなら自分の灰も「海に撒いてくれ」と頼んだことが正しかったと確信し、自信を持ちました。幾ら容姿が悪く醜い私でも焼かれた灰になり海に撒かれる時にはこんなに美しくなるなんて、こんな良い事はない。
私の親友の灰もこの海に撒くことを彼の奥さんと約束してあり日本から届き次第海に撒き供養してやろうと思っているのです。その時までに新しいヨットが出来るとは思いませんが、少しその灰を残して置き「やっと一緒にセーリングが出来たネ」と改めて海に灰を撒いてやりたいと思うのです。
こんな事があり、私自身も余生が残り少ないと感じ、今長年の夢であるカタマランを造らない限りもうチャンスはないとプレッシャーを持ち、資金が都合できないからとのびのびになっていたが、そんな事言っている場合ではなくとにかく始めることにしたのです。
今の所一番の問題は「造る場所」です。適当な場所ではないのですが家の敷地を平地にして仮小屋?テントサイト風の
作業小屋を造る計画です。
カタマランの設計も先ほど書いたように注文しようとしておりましたが、検討する内に少し重いのではないか?と言う疑問がわいてきたのです。凄い功績を持った人が設計したのですが、この人も歳を取り、新しいマテリアルが一杯ある今の時代に40年前から同じ材料を使っているところに疑問を持ち、資金も少ないことと、以前からデザインに興味がある私の体の中からムラムラと湧き出てくるスケベ心で、自分で設計しようではないか?と考えるようになってきたのです。
基本的に私が設計するカタマランはクルージング艇ですので、極端に速く走ることを考えなくても良く、しかしあくまでカタマランの良さを殺さないようにいかに軽く造るか?と言うことが一番の課題となってくるのです。
無論経済的に負担無くということが条件となってくるのですが、そこで今新素材で安く、カタマラン造りに使えそうな材料を見つけ、現在、アメリカ、シンガポール、日本へと問い合わせているところです。
見本の一部が届いたところですが、今からこれをテストしてみて使えそうであれば、注文を出そうとしています。
この国は税金が高く、労賃が高いので自分で輸入して自分で働く以外に制作費を抑える道は無く、
船の値段が高いのはほとんど手作業で造るため労賃が掛かることである。この点を何とかすれば家を建てるぐらいの経費で夢のカタマランが完成するのではないか?と 又夢を見ているのです。
この先どのぐらい時間がかかるのか?検討もつきませんが、私の楽観的考えでは2年ぐらいで完成すると読んでいます?。
ちなみに知り合いの人が作った54フィートのカタマランは6年掛かったそうです。私は46フィートを目標にしており2年と思っていますが、カタマランが出来ても船が大きすぎてマリーナの確保が出来ず、先にはまだまだ問題は山とあるのですがひとつずつその山を乗り越え夢のカタマランが完成する事を夢見ている今日この頃です。
ハーモニー ウイズ ネイチャー
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ハーモニー ウイズ ネーチャー 構想
我々夫婦の歩いてきた人生の足跡・・・・・・
1970年頃,二人はなぜか知り合い世界を見て見たい、と、意気投合して結婚する。金も無かった若い頃に世界を見て回る方法はタダ一つ、背中に荷物を担ぎ、安宿に泊まり、道端の露天で食事をする。こんな旅行をするしかなく今で言うバックパッカーである。今のバックパッカーの方がよほど豊かなのだが、今から考えると波乱万丈の旅だったと思う。若さで出来たな~と思い出す。この世界放浪を4年とちょっと続け日本に帰り着く。一度日本社会を飛び出した我々夫婦は、並みの事では社会復帰が出来るものではなく、放浪生活で覚えた飲食業と我々の形だけの仲人をやっていただいたご夫婦の助けで、飲食店を開業する。お店は初めの一年は苦しく、一般のお客様との考えの違いから経営の方は今いちであったが、以前の世界放浪が役に立ち若いお客の心を掴む。やがてお店は繁盛してゆとりが出来るが仕事に追われ働くだけの毎日となる。以前のように、アノ手コノ手でお客を獲得する面白さが無くなってしまう。一旦繁盛した店はよい評判だけが一人歩きをして、金は儲かるが、今まであったお客との心のつながり見たいなものが薄れてくる。我々の体も労働だけで疲れきりフィーリング的にもうそろそろ止めようかという気持ちになってくる。お店を始める時の計画として漠然と10年稼いでやめる、と考えていた。人生を生きていくための資金が溜まったらその金を道具として自分の希望する人生を歩こう。こんな格好のよいことをノタマイやめる決心であった。その時期が近づき、イザやめて如何するのかと自分に問いかける。バックパッカーで世界を見て歩いた事はあるので又同じことをするのも考え物であり、今度は自分にとって未知の世界でもある大洋をヨットで渡るという行為に挑戦して見ることにする。お店をお客の一人に売り渡し引継ぎ、取り合えずいつかは住みたい国ニュージーランドに来たのです。この国へはバックパッカーの時も来たしお店をやっているときも釣りに来ている。世界中を回った経験からいつか出来れば住みたいと思う憧れの国であった。この国でヨットを買い求め、1年間セーリングの勉強をして慣れ経験を積み、ニュージーランドからタヒチに向かったのです。ヨットのセーリングは観光地で見るイメージとは違い、一旦海に出ると頼るものは自分達しか無く周りは青い空と濃紺の海、今まで自分の人生で知り、経験し、訓練してきた事を利用して考え自然に立ち向かって行くしかなく、結果的に言うと生きる知恵や生きて行く力を学ぶ世界だった。もう一つ教わった事は、人間は自然の一員として自然と共に逆らわず、闘わず協調して生きて行くものだと教わったような気がする。この頃はまだGPSなど無い時代で、天体を仰ぎ、読み取り、26日間かけてタヒチにたどり着く。このセーリングでは天候が荒れたので船を壊さないように大洋の真中でうろうろセーリングをしていた、結果的には今では考えられないほど時間が掛かったセーリングだった。ヨット仲間の一人に言われた、「誰もいない大洋で2週間以上過すと考え方が変ってくる」この言葉を確認したような気がしたセーリングであった。陸地での生活から起こる雑多な感覚が切り離れ「自然と調和して生きる」を、感じ取った気がする。合計7ヶ月の南太平洋を回るセーリングを終え、無事ニュージーランドに戻り着き陸地を見たとき、タヒチの南の島に初ランドホールした時も感激したが、この時ばかりは感激と感傷で見張り番をしながら涙が流れ落ちるのを味わった。一つの目的をやり遂げたのだ、という気持ちだった。このまま世界を回ろうか?と言う気持ちもあったが、自分にとって最大の課題をやり遂げたことでもあり、この憧れのニュージーランドに永住することに挑戦する。一番の問題点はやはりビザだった。幸いにも我々は、日本で飲食店経営の経験があり、ニュージーランドに住むための資金を持ち込んだので時間は掛かったが無事永住権を獲得する事が出来る。 永住権獲得の条件で今のロッジを営業することに成り、牧場の片隅を買い取りロッジを建てる。このロッジは日本人の小さなグループを対象とした宿で、団体旅行はもうこりごりだと言う少し旅慣れた人達を対象として、金儲けを中心として考えずにもし自分が日本で働いていて疲れ、休みを取って旅行に行きたいと思ったとき、こんな宿が有ったらな~と言う発想で作って見たのです。こんな宿ですので利益など上がるわけが無く、昔日本で働き貯めた資金をやりくりして赤字を埋める次第です。我々は、今の生活を以前日本で働いた金で、今の心豊かな生活を買ったと考えています。15年間ここに住み生活して来た感想としてはこの国に住み着いてよかったと思っています。金儲けは日本の方が良いのだけれど、日本の生活では自分の生活が無かったような気がします。このままこの生活を続けたい気持ちもあるのですが、私も今年で58歳になります,ここで又何か新しい事に挑戦したいとムズムズしてきたのです。そして今、その資金作りのためにこのロッジを売りに出しています。www.prosale.bizインターネットがある時代ですので世界中の人々の中から変った(タッタ一人)の次の経営者を見つけ出すゲームをしているのです。これが我々の現在です。 インターネットで宣伝していて色々な人達と知り合い、考えて行くうちに、このロッジを売らなくても良いのではと考え出して来ました。この話は後で述べるとして、
長年我々も自分の老後を如何にして過そうか?と考えて来ました。今本格的にリタイヤを目標として、このロッジを老後資金として売りに出している現在、売ってしまったら如何して暮らすのだという差し迫った状況に今自分が置かれている事にあせりを感じます、その反面マンネリした今の状態から逃れられる喜びもあり複雑な心境です。我々の計画は、このロッジを売り、又ヨットの世界に戻ろうかと計画しています。新しくカタマランというヨットを造りゆったりと天気に合わせ世界を見て回るのも良いな~と考えているのです。今は昔と違い航海計器も発達しており、天候さえ読んで行けば安全な航海が出来、カタマランはモノハルのヨットに比べ揺れが少なく、速く、現地に着くと居住性の良い、浮かぶ家となり、行く先々で新居として楽しむことが出来る。これが良いと考えついたのですが、人間と言うのは欲望の動物で、直ぐにあれもこれも欲しいと考えてしまうのです。そこで、多くの先輩年寄りを見て考えたのですが、一生働いてきて、リタイヤするとその先は健康に生きるために粗食と運動が大事だと言うことが分かって来ました。と言う事は、リタイヤしても旨いものは食べられないし(旨いものは油、脂、を多く使うのでカロリー、コレステロールが高い)、のんびり休もうと思っても体を動かし続けなければ行けない。生活の場でも若い人に政権を奪われ居場所はなくなるし、邪魔物扱いにされ、金でも使わない限り相手にされない。これが老人の本当の姿ではないでしょうか?。ニュージーランドの老人を見て居ても、ぴかぴかの車に買い替え、外国旅行に行くのが一般的です。私もこのようになるのでは?昔は経済的に高い車も買えなかったからと買い、世界で一番と言ってもよいぐらい美しい国から安上がりで汚い国へ旅行に行き、逃げるように帰ってくる、こんな老人の姿はこっけいに思えるのです。歳を取ると新しい服を着ても似合わないし健康のために始めた運動もやりすぎると年老いた体にはきつすぎ結果として体を壊す羽目となってしまう。「まったく如何して生きればよいのだ」と考えてしまいます。 そこでヨットの生活を考えて見ますと、まず、時間が必要となってきます。リタイヤの方にぴったりです。何かとメンテナンスの仕事があり時間が過せる。セーリング中は頭と体力も使う。ある程度ゆとりのある生活に見える事、セーリングをして世界中を見て回れる、着いた国で浮かぶ家と早代わりする。値段的に計算すると飛行機が一番安いように思われるが、車代や宿代を加えると初めの資金は必要でも将来そのヨットを売却すれば安上がりになると思われる。荷物を持ち歩かなくてもよく、旅をしながらそこに自分の住みかが有って安らげる、疲れた時には観光や運動を休みノンビリと過せる場所がある。我々も若い頃には汚く不衛生な国でも平気で暮らせたが、今ではそんな体の抵抗力がなく、せめて小奇麗なところで寝泊りや健康のため質素な食事を自分で作って食べたいと思うのです。昔は、食べるために働き物を買い求め、豊かになったと感じたものですが、これからは、必要なものだけを買い求め、如何に粗食で生きるかということが要求される時代になってきたと思います。もう一つは、生きて行くために必要な綺麗な水、空気、空間、ストレスの無い静かな環境、安全、このようなことが我々老後に一番必要な豊かさとして要求されるものではないでしょうか。今、陸上では色々な危険が起きています。まだ海の世界はニュースに成るぐらいの数しか問題は起こっていないと言う点、「ノアの箱舟」のように最後に生き残ったのも海に逃げた人達です。この間の津波の時も沖に浮かぶ船は安全でした。何時も問題が起こるのは陸上なのです。
我々の今考えているヨットは、カタマランと呼ぶ双胴艇です。ヨットは大きく2つに分かれて単体艇と双胴艇があります。簡単に言いますと二艘を繋げた船と一艘だけの船なのです。もう一つ大きな違いは、キールと呼ばれる錘が船底についていないのがカタマランです。キールが付いていないので船体が軽く、水中抵抗が少なく速く走ることが出来ます。二つの船体の間をサルーンでつなぎ大きなゆったりしたスペースがあるのが特徴です。二つの船体が足を広げたように踏ん張り揺れを防ぎ乗り心地をよくしています。これがカタマランの特徴です、欠点は二艘分の船を繋いだ形ですので、値段が高く成る事です。しかし長期のセーリングと浮かぶ家と考えるとこのゆったりしたスペースは最高のものとなるでしょう。ヨットで世界を回ることを仮定しますと、実際の海を渡る日にちと言うのは意外と短いものです。目的国に着き泊まって過す時間がほとんどと言ってもよいのです。移動可能な浮かぶ家と考えた方がよいと思います。今も昔も、多くのヨットが単体艇を占めますが、情報がなかった頃の恐れから頑丈な単体艇が多く造られてきたのだと思います。ほかにも理由は有りますが値段も大きく関係します。もしこのカタマランを造る費用が出せるなら、居心地のよい安全なクルージングに適したヨットを造ることが出来るのです。この船には6人から8人寝泊り出来ます。浮かぶホテルといってもよいでしょう。もしこのロッジが売れたらこの船を造る予定で居ます。
しかしまだ陸の生活も捨て切れません。春には一面花が咲き乱れ果物の木にはレモンがたわわに実りアボガドも食べきれないほど取れます。畑には春の菜っ葉が育ち、蕗の若い茎を取り食べます。何と豊かな生活でしょうか?ワラビもたくさん採れます。野生のイチゴは一杯あります。鶏や羊も以前は飼っていましたが、我々二人では面倒を見るのも食べるのも多くて困るので止めています。私の趣味は釣りですが「狂の字」が付きますので食べる魚は海や川から獲ります。散歩の途中ではきのこや山菜も採ることが出来るので畑では余り多くは作っていません。米や小麦粉など穀物はスーパーで買い求め、健康のための運動として余暇をテニスで過しています。最近は飼い犬のセーラーも歳を取り激しい運動が出来ないので約2エーカーある敷地内に散歩道を造り犬の散歩をします、散歩道と言っても一見山道のようで犬もかくれんぼを楽しみながら運動をしているのです。天気の良い日には海に釣りに行き鯛など採って新鮮な魚を楽しんでいます。新鮮な海や川魚を多く獲ってくるので内の猫イチゴは魚の味にうるさく、まずい魚を釣ってきて食べさすと餌の前にチョコンと座りウンともスンともいわず飼い主の顔を見てこの魚を猫の私に食べろと言うの、そんな顔をして食べようともしないのです。そんな日頃のイチゴも今年の冬には恒例の鱒釣りに出かけなかったので、魚に餓えており、缶詰のキャットフードに人間用イワシのカンズメを少し混ぜ与えるとガツガツ食べます。イチゴの好物です。
こんな生活も続けたいし、新しい生活もやって見たいと欲深いのですが、可能なら総てを取りたいし世界中の国を訪れても見たい。ニュージーランド中を釣り竿を担ぎ旅をしたい。ご存知のようにニュージーランドは釣り天国なのです。世界中の釣りキチが一度は釣りに来たいという国です。安全で手軽に釣り場に行け魚が釣れます。日本でも我々はよく釣りに出掛けました、山の中まで歩き釣りをしても魚がいません、魚より釣り人が多く総て釣られてしまったかのようです。お店をやっているときにはアラスカまで釣りに行きました。さすがにアラスカです魚が一杯いました。でも釣り場に行くには飛行機で行き、軽飛行機に乗り換え、ガイドの船で釣り場にたどり着き、ガイドがライフルを持ち熊を見張りながら釣りをするのです。これでは気軽に釣りをするなど出来ませんし大金もかかります。ニュージーランドでは車で簡単に行けますし、魚も多くいます。釣りの腕は必要ですが初心者でも釣れます。
ニュージーランド国内の釣りはこの車でキャラバンを引いて行きます。キャンプ場を釣りの基地として使いキヤラバンで寝泊りするのです。渓流にはこのキャラバンを基地としてリュックを担ぎ山に入りテントで何拍かして釣りをします。ニュージーランドの渓流はまだまだ釣り人が少なく日本では想像もつかない大物の鱒が釣れるので釣りキチにはたまらない魅力でしょう。もう一つニュージーランドの良いところは危険な動物や蛇などいないことです。したがって平気で薮の中に入って行くことができるのです。キャンプも何処でテントを張っても大丈夫、山小屋も安く泊まれすいています。
こんな生活もやって見たいと思いませんか、我々もなくしたく無いと思うのです。 町に行くと我々は朝の犬の散歩に芝生の競技場を歩いたり走ったりします。その後犬を車に寝かし、テニス場でリタイヤした老人たちとテニスを昼頃までします。みんな健康の為にやっているのですが、こちらの人は子供の頃からやっているのでうまいが、大きくて力があるのでとてもかないません。スーパーなどでテニス仲間と出会うとこんなにこの人は年寄りだったのかと驚くような老人だったりします。テニスコート場では若若しく見えるのに場所が変れば見方も変るものだと驚きです。無論テニス、ゴルフ、水泳などはタダみたいな値段で参加できるし、もう一つ老後に大事な、公共の病院は待ち時間は長いが無料なのです一般に、ホームドクターを持ち日ごろの健康管理を相談します。血液検査などして、もし悪いところが発見された時には、ホームドクターが病院に連絡して治療や入院となりますが費用はすべてタダ、ホームドクターは一回のコンサルタント代としてNZ$50+薬代、また最近では保険を掛け、民間の病院を利用する人も増えていますが、日本に比べると費用は高くないと思います。ついでに書きますとヨットでセーリングをしますとヨット乗りにはドクターが多いので助かります。
** 老後生活を考える **
我々自身の老後を考えて見ます。まず最初に問題となるのが健康です。58年間も生きてきましたのでこの体も使い古している事でしょう、どこかガタが来ていると思うのです。古い車を例にとって見ますと消耗品としてのパーツは定期的に取り替えていかなければいけません。外見は古いままですがメンテナンスだけしていれば、何年でも新車のように使えるものです。人間の体も車と同じだと思います。タダ違うところはパーツを総て取り替える訳には行きません。車のエンジンを形成する一部としてのフィ-ルターなど腎臓と同じ役割です。肺は吸気系のフィールターですね、血液は多分エンジンオイルでしょう、燃料となる食事はガソリンです、心臓は内燃機関、筋肉は駆動系統、頭はコンピューターでしよう、血管はブレーキパイプや燃料パイプです、タイヤは足でしょう。このように考えて見ますと、年老いた人間は中古車です。中にはクラシックカーとして価値のある車も有りますが、たいがいはまだ乗れるがもうそろそろ新車にしようかな~と言ったぐらいの中古車だと思うのです。中古車を乗り続けるためにはまず車を適度に動かし続け、止めないことが大事となってきます。日本では車を何十年も乗る人はいないと思いますが、ニュージーランドでは20年もんぐらいは一般的にまだ現役として走っています。
我々も中古車なのです。コンディションを良く保つには適度に体を動かす事で体内の潤滑油の膜を切らさない事です。何時も動かし続け錆ないようにする事です。
燃料は適切な燃料を正しく使うことです。我々日本人は西洋人と比べ粗食に合う体をしています。染色体が長い歴史を経て日本人が食べてきた食事を覚え込みその食事を効率よく体に吸収すべき方法をコンピューターのメモリーと同じく記憶しているのだと思います。日本人(他のアジア人も同じ)はここ数十年急激に豊かになり、西洋人の食べ物を取り入れ食べてきました。これが原因で今流行の生活習慣病となっているのです。車で言うとスーパーチャージャーのように、大量の燃料を体に送り込み排気ガスとして尻から出しているようなものだと思う。そして体が消化し切れずに溜まりパイプを詰まらせ総ての機構に混乱を起こしているのです。
ここで考えなければいけない事として、我々中古車は、フィールターに目詰まりを起こしていることです。車の場合は簡単に取り替えることが出来るが、人間の体の場合は供給不足も手伝い簡単には取り変えられない(私自身もこの問題と取り組んでいますが)出来る事は食事療法でフィールターをかばいつつ長く使用して行くことだけなのでしょう。と言う事は、粗食に耐え、酒、タバコを止め適度な運動をして自分の体を管理することが必要となって来ます。
もう一つ大事な事は命令形となるコンピューターですが、やはり適度に使うことが大事だと思うのです。人間のコンピューターとしての脳ですが、適度に刺激を与え少しのストレスや考える仕事をさせなければいけない。と言う事は、リタイヤしたからと言ってコンピューターを休ませてはいけないと言う事でしょう。リタイヤ後いくら豊かになったとしても、粗食に耐え、運動を欠かさず筋力を落とさないようにして、脳に酸素を送り、そして少しの危険なストレスも加えることが大事となってくるのです。
もう一つ年老いた体に良い食べ物を考える時,私は現代の自然採集の生活に憧れるのです。我々も畑で作物を少し作っていますが、美味しそうな食べ頃になるとみんな虫や鳥に食われてしまうのが現実です。無農薬野菜など嘘の世界ではないかと疑っていますし、ましてその野菜を売るなんて出来る訳はないと思うのです。ファッションとして豊かさをひけらかすために無農薬野菜を買っているように個人的な意見ですが思うのです。おまけに減農薬野菜など売るための言葉の遊びとしか思えない。余程の大きな土地で野菜を作り、食べられそうな野菜だけ採って売らない限り不可能ではないかと考えています。(確かに手の掛からない野菜も有りますが、販売すると考えた時バラエティーガ必要となってくる)。そこで我々はニュージーランドの広い土地を利用して、手の掛からない野菜を作り、自然の中から食べられそうな若芽や山菜、キノコなどを採集し、海や川からは楽しみとして魚を釣り食料とする。基本的に肉は食べないようにして、最低限の物を買い求め質素に心豊かに老後を暮らして行きたいと考えているのです。
これらの考えをベースとして私の老後を考えて見ますと海の生活が良いと思うのです。大きな話ですが、海の水が太陽熱で蒸発して雨となり陸に落ちる。その雨は陸を潤し、陸上の汚れを洗い流して川となり海へ帰る。海はそれを浄化する。このような対流が自然界には起きていてこのバランスが崩れた時、災害となって陸上に被害を与える。海の生活は、まず「揺れ」と言う適度な運動が自然に嫌でも付きまとう。船と言う限られたスペースですから食料を持ち込むのに限界があるし、多少の冒険的刺激を脳に与え、海からは自然の浄化の産物としての魚、海草、雨と成った蒸留水が得られる。多分人間の体も海水に浸かることにより浄化してくれると思う。リタイヤ後の生活にぴったりだと思うのです。船で旅行は出来るし、多くの面白そうな考え方をした人達にめぐり合える。停泊中は家と早代わりしてそこをベースに運動をしたり、観光を楽しんだり、山歩きをしたり、地元のクラブに参加して多くの人達と友達になれる。 しかし、四六時中船の生活ではマンネリ化や疲れが出てくると思うのです。少しは陸の生活もしたい。そこで我々の持っているロッジを陸の拠点とし、そこをベースにセーリング、時にはそのベースから車で陸地を旅行する、時にはロッジの畑で土いじりや果物をもいで食べる生活、時にはペットなど動物と過す時間も持っていたい。
このように欲望は限りなく増えてしまうのですが、これを自分たち夫婦でこなすには不可能に近い、家の面倒も見なければいけないし、動物の面倒、畑の草取りもしなければいけない、船のメンテナンスも必要だ、金銭的にも問題がある。これを可能にするには、目的を同じくする仲間と縛りあわずに、生活、労働、喜び、資金を分かち合う事が必要となってくる。皆で、今まで生きて来た人生の経験と技術、資金を持ち寄り、質素で心豊かな老後を過しませんか?。
我々は趣味と運動を兼ねテニスなどしているのですが、ニュージーランドの老人の中に混じって運動しながら老人たちの生活を見せてもらい感じる事は、宣伝の効果か?アディダスやナイキなどと大きく書いた服を着てかっこよくテニスをやっているが、人から見ると、動く姿も容姿も老人であり若い人みたいに躍動美などない間違いなく老人である。一見金回りが良いように見せても長年の貧乏性は抜け切らず、顔や動作の節々に現れ溜め込んだ金は無くすのが惜しくて使えず、安上がりなテニスなどをやり時間をつぶし、一年に一回外国旅行などへ出かける。これが一般的な老人の姿と思う。多分我々も将来このような老人になることを考えるとどうせ一度は死ななければいけないのに、後少しの人生を何か出来ないのか?と焦りを覚えるのです。思いっきり自分の好きな事をして死んでゆこうと考えた時頭に浮かぶのは、アノ雑用をしなければ行けないとかこの仕事も残っていたと言った日常の事が希望や大志を足元から桁繰り床に転がしてしまう。何とか素晴らしい老後が過ごせないものかと考える毎日です